平等であるべき
私の子育てを苦しめていたひとつに
これがありました
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子どもたちに対して
平等であるべき
が強く強く巻き付いていた頃
たとえば
お稽古事ひとつとってみても
ちょっと向いていないかもしれないなぁ
本人もやりたそうではないなぁ
それを感じていながらも
上の子がやっているのだからと
やめる選択肢を持てませんでした
(そのあとやめたら、やりたいことが見つかりメキメキと伸びた)
怒り方に関しても
同じような厳しさや口調や責め方の手をぬるめることなく
そうすることで
自分を正当化している部分がどこかにありました
(その結果、全く違う反応にさらにイライラを募らせることに)
それぞれに「合ったもの(事、方法)」というのは
決して甘やかしたり贔屓しているということではなくて
対子どもにおいて
いかにして
それぞれが歩み寄れる心地よい箇所にフラグを立てて行けるか
少なくとも私は
日々そこに注力して子育てしているように感じています
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土日はサッカーの試合でほぼ家に居ない長男
朝早いので
本人は自分の身支度で
私は昼食の準備やらでバタバタしていますが
そこにいちいちグズることなく
毎回元気に出掛けていきます
ところが今朝は
声を掛けても機嫌が悪く
クサクサしながら出掛けて行きました
(そういう時に限って靴ひもが絡み合って上手くいかない笑)
いつもと何が違うのかなぁ
ちょっと考えてみると
今日は他の姉弟も起きていました
準備する長男をよそに
絵本を読んだり雑談したりして
長男にしてみれば
きっと仲間に入りたかったけれど
そうは言ってられない状況で
モヤモヤしたのでしょう
(それは置いといて)
ここでの私的フラグ(対長男)というのは
どうしたの?
そうだよね~〇〇だよね
じゃあ、帰ったら一緒に△△しようか
優しく寄り添って声を掛けることではなく
あえていつも通りにしている努力
(世話焼きおばちゃんの私は自己満足も兼ねてあれこれ声を掛けたくなるのですが)
それは
ひとりの時間&空間を持つ中でのみ
徐々にささくれ立った気持ちを収められる
そんな長男のクセがわかったからです
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これが次女の場合だと
時系列に沿って話をさせていく中で
どう思ったかが言葉として徐々に出てきて
最終的にどうしたいかという風に流れていくし
(とにかく寄り添って聴いていくのが良い)
長女の場合だと
今、○○な気持ちなんだー
から始まって
そこから何があったのかがわかってきて
頭の中で答えが出ているものを
言葉にして落とし込んでいるような感じです
(時間が経ってから徐々に声掛けするのが良い)
次男は
今まさに起こっていることがほぼそのままという中で
少しずつ抽象的な言葉を使い始められたところなので
これからかなぁという風に感じています
(現段階では「現場で都度共感する」のが良さそう)
少しずつ形を変えながら
私と子どもたちの距離感も変化していくのだろうけど
フラグの軌跡はそれぞれ違うのだろうなと思っています
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対子どもたちの場合は
発展途上の部分も大きいため
苦労もありつつ色んな楽しさもありますが
対大人の場合の方が
難しいような気がします
イライラしていた毎日
両親や夫に対して
常に「怒り」という感情を練り込んでいたような気もするし
その時期を思い起こすと今でも苦しいです
アンガーマネジメントに出会ってから
そのあたりを改善できてきたのは
私なりのフラグ立てができているからなのかもしれません
(以前は地雷を埋め込んでいた)
試合でドロドロ&ヘトヘトになって
帰ってくるであろう長男(&付き添いの夫)には
温かいものを準備しておこうと思います
怒りの感情と上手に付き合う
アンガーマネジメントコンサルタント
山本周子(やまもとちかこ)
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